昭和52年09月01日 月次祭



 信心は見やすいものじゃが、氏子から難しゅうすると。信心が10年と続いたら、我ながら我が心を奉れと、御理解下さってあります。信心は見易いものと言う事がね、自分の都合のよか時にお参りをする、お願いのある時だけお参りをする。そういうお参りは確かに見易いですね。自分の用のある時お参りをする。けれども10年と信心が続いたら、我ながら我が心を奉れと仰るのですから、1年1年有り難うなって行く、その有り難いが10年間貯まり貯まった所で我が心が奉れる。
 ですから自分の心が段々有難うなって行くような信心でなからなければならない。ただ自分、言うならば勝手の信心では、我が心が奉れれるようにはならんと思います。勿論有難くならせて頂く手立て、有難くならせて頂けれる道を教えて頂くのですから、それを行じていくと言うかね、その行じていかなければ、我が心が奉れれるようにはならない。そこで、我が心が拝めれるようになる、しかもそれが見易うと言うのですからね、矢張り信心が好きにならなければいけません。
 信心のお話を頂く事が有難くならなければいけません。ただお参りをするおかげ頂くと言うだけでは、よし50年かかっても我が心が奉れれるようにはならないと思う。そして、信心は難しいと言う事になります。お金も掛かる暇もいる、時間も掛かる訳ですから。ですから好きな事になれば、それが時間が掛かってもお金が掛かっても、惜しいとも難しいとも思わない。そこまで信心が一つ育って来ると言う事が大切です。
 おかげを受けると言うとこから、言うなら信心を受けると言う事に段々進んでいかなければなりません。今日研修の時に、今朝の御理解に基づいて研修を致します。先生方が一人一人発表をさせて頂くのですけれども、最後に申しました事でしたけれども、今朝から私しはこう言うお夢を頂いた。ここの修行しておる先生方に召集礼状が来ておる。しかも受け取ったのが7時半でもう9時半には出らんならんと言う様に、けたたましい召集礼状。いわゆる昔の、所謂赤紙です。
 あれと是とがしまえとらんからちょっと待って下さいと言うわけにはいけん。ちょっとあの人に連絡がありますからという訳にもいけん。そして私しはその招集礼状を皆に配って、もう皆がざわざわしながら、そんなら時間に間に合うように行かんならんと言うて、一生懸命その準備をしておるのを見せて頂いて目が覚めてから思うたんです。もうあなた達のような信心じゃ何時布教に出られるやら分からん。
 そげなこっちゃいかん。愈々合楽理念をマスターして、本気で合楽理念を行じ、自分のものにして、いわゆる合楽理念の確立を急がなければいけない、というふうに申しておりまして、何か心もとない気がしておったんですけれども。今朝私しお夢を頂いてですね、はあ家で今修行しておる、修行の先生方、又は是は学院に今行っております先生方を含めて言える事は、もし召集礼状が来たならば、どこどこ布教と言う例えば命令が下ったならば、恐らく信心はでけてはおりませんけれども。
 信心はまだほんとに分かっておりませんけれども。どの先生方でも「いやちょっと待って下さい」と言う様な先生は一人もおるまいと思わせて頂いたら、大変有り難かったと言うのもですね、言うならばこういう信心をすれば絶対だとか、こういう信心をすれば徳が受けられる力が受けられるということをです、日々目の当たりに見たり聞いたり、自分の物ではないですけれども、見て来ておる聞いて来ておる事がです。愈々の時には、度胸が出来るんだなあというふうに思うたんです。
 なら是からどこへ布教に出るか分かりませんけれども、よしそこが言うなら言葉の通じない外国でもあっても、末永先生が実例実証しておる。そして合楽理念を持ってする他はないと、言うなら言っておるのですから、その合楽理念の大体の事は分かっておる。だから、それが踏ん切りがつかずに教会で修行の時には、中々実行も出来なかった、行ずる事も出来なかったけれども、愈々自分がもうここに踏ん切りをつけて、言うならば背水の陣をしいて、前進だけしかないと言うような場に立たされたら。
 それで前進の術を皆が知っておるからだ、心得ておるからだというふうに思ったんです。これがもし皆さんの場合であったらどうだろう。言うならば合楽理念を持ってするならば、どう言う事でもおかげの頂けん筈はない。しかも絶対の道が開け、言うならば絶対お徳を頂いて行けれる道だと言う事が分からせて頂いたらです、何かの機会にです赤紙が来た様な、もう言うならギリギリの所へ差し迫った時には、合楽理念があるからだと言うふうにです、皆さんも思えれるそういう確信が。
 段々出来ておるであろうかと言う事です。ですから言うなら招集礼状が来る前にです、その覚悟を作っておくと言うか、もうこれだけの体験を持っておるから、言うなら自信たっぷりで道が開いて行けれると言う信心を頂いておくと言う事が、言うなら一番有り難い事なんです。知っておるだけそれも空論ではない、親先生がそれを実証しておられる。末永先生がそれを、証を立てておられる。しかも言葉がよし、通じなくてもね、問題は人が助かる事さえ出来ればと言う教祖様の御信心を頂いて行く限りです。
 おかげが受けられるのは、とても飢え死にども神様がさせなさる事じゃないなと言う確信の様な物がです、銘々の中に育って来る、そこまでは頂かなければなりません。昨日、椛目の妹の所に末永先生から夫婦のものが、手紙を書いて出しております。その中に丁度正月の合楽だより、こっから出ております新聞ですね。新聞を何かの調子にその出て来たからそれを読ませて頂いておったら、私共の妹にスマ代と言いますけれど、スマ代おばちゃん、スマ代おばちゃんと呼んでおりましたが。
 スマ代おばちゃんが、親先生のご修行時代の事を「思い出の記」に書いておられるのを、丁度見終わったところに、おばちゃんからの手紙が参りました。もう感激でした。そして最近思う夫婦で話し合い、夫婦で申しております事はです、どんなに難儀を感ずる時であっても、親先生のご修行の時分の事を思うたら、難儀がなくなるとこう言っております。どんなに不平不足が出るような、もう大変なやはり不自由な所だそうですから、不平不足も言うごたる。
 その公子さんは1と月間は、もうあなたと別れても良いから帰してくれと言うて一月は泣いて主人、先生に頼んだけれども御理解を頂き頂き、胸を治めさして頂いて、合楽理念を知っておるだけであったけれども、行ずる気になったら是からの苦労がよしどういう苦労であっても、夫婦で道を開かして頂く事に喜びが感じられるようになった。言うならば、楽しいものすらが段々出来て来たと言うふうに。
 子さんは書いております。親先生のご修行の時分の、言うならば事を思うたら難儀がなくなる、難儀と思うておる事がもう難儀で無くなって来る。「もうこんな不自由な事が」と思うておる事が、そこには何の不自由も感じない。それは私が普通で言うならこんな難儀があろうかと言う難儀な中にあって、ひとっつも難儀を感じていなかった。久保山先生がまだ私しに大坪さん、久保山さんと言っておる時代に、あたくしがお話し行く所にあっちこっち、付いて来て下さりよった。
 もうほんとに有り難い有り難いお話をして、その先生、いや大坪さんですかね「大坪さんは本当にあなたこの難儀苦しい中にほんとに有り難いとですか」って念を押されるんです。ほんとに有り難かったです。だから難儀を難儀と、難儀は難儀ですけれども、難儀以上の信心の喜びがいっぱいであった。その合楽だよりの中にスマ代が思い出の記に書いておる事が、ちょうど、善導寺のある小さい殖産会社に勤めておった。私がお月次祭たんびに福岡から帰って来る、そこの前を通らなければならない。
 ある時そこの所長さんが、ちょっとあの人は池尻に嫁に行っておりますから、「池尻さん、池尻さん、あそこのあのカバン下げちから、行きよんなさるでしょうが。あの人はただ人じゃなかですばい」って言わっしゃった「後光が差しよる様な感じがする。あの人はただ人じゃないですよ」って、その妹が私しと兄弟である事を知らんもんですから「あれは実は私しの兄で御座います」と言うたらまぁ大変、そのビックリされたり感動されたりした」と言う様にです。
 言うなら何にも分からない者であってもです、言うなら後ろから後光のさしよる様ななんかがあったんです。心の中にある喜びがそんな形になって現れて来る。お釈迦様とか如来様の後ろにこうやって後光がさしてます。あれはまんざら絵空事じゃあないと言う事です。どういう場合であっても、自分の心の中に喜びが溢れる様にある時には、それがそういう目には見えないけれども、そういうものを感じさせる、まあ潤いの様なものではないでしょうか。人間にはそういうものがあるのです。
 私しがほんとに信心しよって、どうしてこんな難儀せんならんだろうかと言う様な事であったら、私しの話を聞いただけで言うならば難儀が、難儀を感じておったけれども難儀を感じんで済む。だからその事をこう言っております。これは合楽理念以前のものだと、言っております。合楽理念以前のものなんだ。そこで言うなら今合楽で修行しております先生方の場合には、その合楽理念以前のものを段々身に付けていっておると言う事で御座います。そういう今基礎作りをしておる同時に合楽理念の勉強もしておる。
 だからこの基礎がでけて、この理念を元にして行くならば、何時どういう時にさあ今から布教に出ろと言われてもです「そりゃああんた、目ん玉に指突っ込むごと言う」と言うて、慌てなくても不平を言わなくても、それが「はい」と言うて行けれるだけのです、確信が段々でけていきよると言う事が有り難い。今日頂き終わりました後に、最後に西岡先生が何時も話されるんです。私は今日はちょっと驚きました。皆さんがあの「和賀心時代を創る」と言う御本を読んで下さったじゃろうと思います。
 まああれの1つのダイジェスト的な、その言うならばさわりのところだけをです、「先生、私は今日の朝のご理解を頂きよって、確かに昨日末永先生が言われる様に、合楽理念の言うならば以前のものが、私し共に芯から腹入れをしとかなければ駄目だと言う事であります。」この頃お参りをして来る西岡先生の部屋に皆がおかげを頂く。言わば私しは期せずして合楽理念以前のものを皆さんに話しておった。どうしてこんなに感動するだろう。どうしてこんなに力が湧いて来るだろう。
 自分でも分らなかったけれども、是は合楽理念以前のものであったからだと言うのです。親先生出生の時のあの不思議な出生、所謂椛目には三つ子が生まれたげなと言うて、当時の福岡日々新聞社が写真取りに来た所の話から、中々問題の言わば生まれた所からすでにもう問題をはらんでおると言った様な感じの話。5歳の時の私が死ぬか生きるかと言う疫痢の時のおかげを頂いた話。
だんだん長じては12歳の時と言っておられましたが私ははっきり覚えませんが、善導寺のまあだ青年教師でおありになった亡くなられた先代の先生と、それから岸と言う先生が話し合いをしておる。「先生この三井教会から一人でもいいですもう本当の信者真の信者を一人でもよいから作って下さい」と、熱心に話しておられるのを子供会で来ておって聞いた。 そのこの耳に入った途端に私しが、「その真の信心、真の信者と言うとに私しがなろう」と思うた。
 思うたら途端に感動が湧いて来て、すぐ横のみかん畑に入って、泣いた事を覚えておると言う話から、私しがもうこんな大きな、この傷は全部しもやけなんですけれどもね、しもやけで修行させて頂いた事から、例えば足を踏まれて嫌という様な思いをする時にです、こう振り上げる拳をじっとこう下に下ろしながら、爺が言うておった「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」を唱えよったら。
 どっから湧いて来るか分からない感激が湧いて来た。今にして思うと、あれが天地の親神様のお喜びであったであろうか、と言う様な話が残っておる。先生が酒屋の小僧に行かれた時に近所から7人、8人多い時には14、5人ぐらい近所の小僧さん、又は番頭さんそれから床屋さんの息子、ブリキ屋さんのお弟子さん、鉄工所の八百屋さんの誰々と言った様に、もうそれこそ朝の御祈念に、私しが荘島から櫛原の教会にお参りをすると、そんなに沢山付いて来よった。
 ある冬の霜の朝お母さんから頼まれて「家の息子もどうでも連れて行ってくれ」と言われる、八百屋のこうちゃんと言う人を導いて連れて行きよった。ちょうど櫛原の教会のちょっと手前にあきや神社というのがある。秋葉神社と言うのがある。その秋葉神社の前で下駄の鼻緒が切れた。大変もう霜の朝の霜柱の、こう立っとる時じゃった。それで私しがもう是でこっから裸足で参らしよるなら、もう明日参らんっち言うかも知らんと思うて、私しがすぐ裸足になって、そのこうちゃんに下駄を掃かせた事があった。
 そして私し裸足でお参りをさせて頂いた事があった。と例えばそれをようあげん丁寧に覚えて御座る。もう10分か10、何時もこの位時間に早口にずうっとその、今日話されたのを聞きながら、私しはその人から私しの話を聞かせて頂いて有り難いなぁ、これはちょっともう合楽ちゅう所はただの、ただ者ではないなと言った様なものを愈々感じて、その一場面一場面が、ほんとにあの漫画に書いても良いなと言うような、今ねあの玄潮と言う本に、小倉の桂先生の御一代が漫画になって来よった。
 でこの頃それが終わりましたから、福岡の吉木先生の漫画が書いてある。でこれはほんなこっちゃろうか、知らごとじゃろうかっちゅう様な事まで漫画に書いてある。所が私しのもし1代記を漫画にするなら嘘は一つも言わんで、そして素晴らしい一場面一画面画面が出来るなということを思わせて頂いたんですけれどもね。これは合楽に御神縁を頂く人は、今日は修行生の皆さんにも申しました、今、西岡先生が話された事を、あんたもあの通りに話せるかと。
 皆に知ってはおるけれども、さあいっぺんになかなか話はでけん。私しですらその間違える。ただもう西岡先生はやっぱ毎日話よんなさるから、むごう話なさる。それこそ紙芝居みる事ある。それがねほんとにあの嘘ではない、実際だと言う事なんです。例えばその本当の信者にならせて頂こうと言う、この意欲がまず第1番なんです。今日皆さんに申します様に、見易い信心とはおかげ信心から見易いものは生まれません。本当の信心を頂こう真の信者になろう、この発願が先ず大事です。
 そしてです私しに爺が申しておりました様に、もうけんかどんしちゃでけんぞ、と。人にだんくらせられたっちゃ「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と言いよると痛かつはようなると。その言うならば足を踏まれてもう嫌っちゅうごたる、返って私しからもうこう突き放したって、くらせようとした時にです。頭の中にひらめいたのが、その南無阿弥陀仏であった。その言うた事を覚えておる、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」言いよる内にですね。
 何か訳の分からんけれども、痛いからではなかった涙が流れた事を覚えておる。是は教えられた事を本気で行ずると言う事なんです。本気で行ずる所から、言うなら有り難涙がこぼれて来る。本当の真の信者にならせて頂こうと願わせて頂いたら、もう天地の親神様がそれを受けて御座る。そのお返しに感動が送られておる。そういう感動の中に難儀があり苦労があるのですから、難儀を難儀と感じないのであり、不平不足なんか出ようがないほどしのおかげが受けられると言う事になります。
 愈々記念祭記念祭と言うておりますのがもう一月になりました。愈々今朝からの御理解の中に、北野の中村さんのお話が出ておりました。まだ元気はつらつで婦人総代を勤めておられる時分に。あのお話しは、ここが出来あがるちょっと1年ぐらい前に、まだ未完成の時にここで総会を開いた。その時の話であったと後から或る方が言うてくれた方があったけれども、こういう言わば有名な、言うならセリフです。「お参りのし儲け、お供えのし儲け」ということを開口一番に話されました。
 お参りのし儲け、言うならばね、お供えのし儲けと言うのです、もう拍手喝さいでした。これはもう神様をはっきり頂いておる。と云うことはお参りをすりゃあする方おかげが頂かれる。お供えをすりゃあお供えをする又おかげが頂かれる。その実感がもうあふれておった訳です。そういうおかげを受けておられた。だからそれだけではね矢張り言うなら最近中村さんが言われる様に、「ほんに私がもうちっと若かならば10年前15年前の信心をしたら、もうこれもうこん位のおかげだんすぐ頂きよったばってん。
 もう年取ってからの、よろよろするごとなったけんできん」と言うて悔やまれるそうですけれども、だからそういう信心がです。それこそお参りのし儲け、言うならばお供えのし儲けと言った様な信心が、言うなら真の信心を目指しての信心であるならば、10年したらもう間違いなしに和賀心が奉れれる様にもなっておられたであろう、ということで御座います。不平なものも出よう筈がない、不足などの出る筈がない。
 どんなによし難儀なことがあっても、その難儀以上の喜びを持ってそこを受け抜いて行く事の出来る程しのものを、頂いておられたであろう。だから確かにお参りのし儲け、お供えのし儲けの時点から、そのお参りや御用やお供えが。徳に繋がる様な真の信心に繋がる様な信心でなからなければならない。それを合楽理念ではこんこんと解いてある訳です。ですからその合楽理念をマスターするという事と同時に、言うなら私の過去の信心の、言うならば今から考えて見たらこら大変な事だなと。
 もし私しが死んだならば、これが一つの御伝記なら御伝記になるだろうと。言うなら漫画になるかもしれない、その漫画の一コマ一コマにです、嘘ではないオーバーではない。もう私しが辿って来た道をそのまま書けば、小説にもなる漫画にもなる程しのものを、皆さんがいっぺんマスターして下さらなきゃいけん。言うなら合楽理念をマスターする前に、合楽理念以前のものを知らなければいけん。
 合楽が決してローマは1日にしてならずであって、ただ大坪さんがつがようしてああなられたというものではなくて、現在の信心だけを頂くのではなくて、そういう信心を一つ踏んまえて、一つ分からせて頂いての合楽理念でなからなければならない。しかも目指す所は力を頂く事であり、光を頂く事である。愈々光明世界に住まわせて頂く所の信心を身に付けて行かなければならない。一月後に仕えられる記念祭を、皆さんがそれぞれに考えておいでられるであろうけれども。
 それはほんとに記念祭にふさわしいぴったりとした、言うならばなんと申しますか、今日は御神前で頂いたのがね、あのこめつつじと言うのがありますよ。白い花がいっぱい咲く花。それを主にして生けてあって、この根じめにしてある花が何と言う花かは、金盞花のようでもありゃあ、何かの賃貸花と言った様な花でもある。それがなんとも言えん調和を持って、その根じめと、この主になっておるそのこめつつじが、あのお生花にしておるところを頂きました。
 ですからこの例えばです、言うならばこめつつじならこめつつじのです、言うならバラの様なのを持って来てもです、添わないです。ならあやめの様なものを持って来ても、これでは釣り合わないです。だからこれに釣り合う花、記念祭なら記念祭にです、例えば様々な、言うなら信心を皆さん考えておられるであろうけど、これならば絶対神様は喜んで下さる。今朝の御理解にはそれこそ、身を削り心を削りと言う事であったが。四神様にある人が「お供えは何が一番いいでしょうか?」と尋ねた時に。
 「それはもうお神酒じゃ」と仰った。「ならお酒のお供えすればよいか」とこう言われた。「それはお酒じゃないお三喜じゃ。有り難き勿体無き畏れ多き。これが1番じゃ」と仰った。その言うなら有り難き勿体無き畏れ多きは、おかげを頂いて有り難い。自分の思う様になって有り難いと言うのは、ほんな有り難いではない。ほんとの有り難いと言うのはです、例えば「ほんとに大坪さん、この難儀の中にほんとに有り難いとですか」と、いう様な難儀の中にあって不平不足を言うのが当たり前の様な中にあって。
 不平不足をいう段ではない有り難い、勿体無いという心が生まれて来るような、言うなら有り難き勿体無き、畏れ多きである。そういうお供えが最高だと言う訳ですけれども、是は銘々の信心の段階と言うかね、それぞれの違いましょうけれどもそれぞれに工夫をして、自分がこう是に合った、いや是なら神様が喜んで下さるだろうと言った様な信心をです、言うなら合楽理念の確立を全てと、もうここだけは一つ頂いて自分のものにしてそれを神様に喜んで頂こうと言ったような信心をです。
 記念祭を目指して後一月いや40、正確に言うて45日。その間に何とか工夫して頂きたいという風に思います。信心は見易いものと言う事は、自分でどういう中にあっても有り難いと言うのがこんなに見易い事はないのです。信心してどうしてこげな苦労せんならんだろうか、と言う所に難しさがある。それはおかげだけを焦点にした信心だからと言う事になります。
   どうぞ。